fc2ブログ

核兵器・核発電禁止条約の制定を推進するべきである。

 2017-03-03
核兵器・核発電禁止条約の制定を推進するべきである。           
2017.3.1 田尾陽一
私は、日本社会や世界に次の提案をしたいと考えている。
①世界中の核兵器の全面廃止・根絶と同時に、核発電(原子力発電)の全面廃止・根絶を実施する国際条約締結を目指す。
②そのために、まず日本で核兵器の全面廃止・根絶と同時に、核発電の全面廃止・根絶を実施する法律を成立させ実施する。

私がこのような提案を企図する背景には、核兵器と核発電は一つのシステムだと考えるからである。核兵器と核発電(原子力発電)が別物なのではと思っている人が多いが、実はそうではなくて核兵器を作るには核発電が必要不可欠なのである。「発電」を看板にするか「濃縮ウラン製造→核連鎖反応→プルトニュウム製造」を看板にするか、看板をかけ替えているだけで中身は同じなのである。技術的な中身とともにそれを支える政策・財政・
研究開発体制・科学技術人材が共通なのである。
日本政府や原子力村が、何故福島の現実を見ないふりをして、しゃにむに再稼働を急いでいるのか、国内だけでは原発関連産業の維持が困難なので原発輸出に必死になるのか。それはこれらが総合システムとして、核兵器保有のために不可欠であることを知っているからである。世界各国政府も、これは常識なのである。私たちは、世界の人々と手を携えて、これらの常識に立ち向かうべきであると考える。

1945年8月6日朝、4才の私は寝巻のまま、祖父と並んで広島県安芸郡坂村(現在坂町)の自宅の庭で空を見上げていた。朝から家の上空を、呉から広島の方角へ、アメリカ軍の飛行機が何機か通り過ぎていったからである。そして、いま思えば8時15分、広島湾の向こうで強烈な光の後にドーンと大きな音がした。いわゆるピカ・ドン(原爆)投下であった。家の表の入り口の扉は、その後しばらく開かなくなったほど強烈な振動だった。祖父は翌日帰ってこない親戚や知人を探しに市内に入り、10数年たってから1級原爆手帳(被爆者健康手帳)を持てるようになった。原爆投下後、目の前の江田島の海軍兵学校に残っていた兵隊の卵が訓練用のボートで被災者を、私たちの村の海岸に運んできた。海岸から村の小学校までの川沿いの道を、延々と被災者が歩いてきた。衣服がはぎとられやけどの人たちが教室までたどり着いた。国防服のままだが衣服が体からはがれないおじさんに、祖母が縋りついたのが記憶に残っている。祖母は、小学校の教室で被災者に赤チンらしいものを塗ったり、包帯らしきものをまいたりしていたので2級原爆手帳をもらうことになった。私は周りをうろうろしていただけなので、何ももらわなかったが。私の住んでいた村までたどり着いた被爆者は、次々と亡くなっていき、そのシャレコウベの山の写真が、広島平和資料館の出口の壁にかなりの間貼ってあったことを覚えている。

この私に縁のある広島を、2016年5月27日にアメリカのオバマ大統領が、安倍首相と手を携えて訪問した。広島の人たちが、あまり多くを語らず、批判的というよりは、なんとなく歓迎の姿勢を示したのは、私も感覚的には理解できる気がする。
私の村などは、明治以来アメリカに鉄道建設労働者として移民した人も多い。私の曽祖父母(祖母の両親)もカリフォルニアで亡くなっている。わたしの祖母は、両親がアメリカ移民、末の息子はニューギニアで戦死、長男(私の父)は戦前アメリカ留学その嫁(私の母)も留学生仲間という、「アメリカ派」である。そこにアメリカが原爆を落として広島の庶民を無差別に殺したのだから、この複雑な感情は県外の人にはよくわからないだろう。アメリカに反感と共に、何か親しみを持つ感情がその底にある複雑な気持ちがあると思う。

オバマ大統領の広島訪問に同行した安倍晋三首相は、大衆の目を意識しわざと緊張した表情をつくり政治的打算への期待の笑みを隠して、オバマ大統領に付き従っていた。二人の共通利害は、第2次世界大戦の敵味方であり、原爆を落とした国と落とされた国の現代の代表が、ともにヒロシマの地で、強固な核の傘の提供と沖縄の基地の提供を相互に確認しあう儀式を行い、中国とロシアへの脅しを表明するというものであった。「核なき世界」を訴え(オバマ)、「核兵器のない世界を実現する」(安倍)などときれいな言葉を並べているが、広島の被爆者の願いなどとは関係のない意図が見え隠れしている。
その二人が、願望だけなら誰も文句のない「核兵器のない世界」という言葉を言ってみせるという政治ショーに、被爆者と被爆死者を利用したことに、私は怒りを覚える。
原爆慰霊碑の前に立つオバマと安倍のすぐわきに、軍服のアメリカ軍人が核攻撃ボタンをすぐ押せるアタッシュケースを持って付き添っていたことを、朝日新聞5月31日付朝刊が報じている。その証拠写真は日本の外務省が提供したと注記しているのだから念がいっている。この機密核戦争開始用アタッシュケースは、アメリカ大統領が世界のどこにいても、数メートル以内に携行していることは公然の事実である。左手に世界への脅し核発射ボタン、右手に核なき世界のメッセージとは、誰が見ても民衆への詐欺である。

核兵器体制の下ではアメリカ人・日本人・中国人・ロシア人も被害者になると信じ、非核世界実現を願う被ばく者と、敵を殺す核兵器発射ボタンという脅し道具を手放せないオバマという、およそ相容れない立場の人間が抱擁するTV放映によって、世界を欺いてしまった。この場面は、被爆者の善意にもかかわらず、視聴率のために“人間的な”場面が好きな日本のメディアに利用され、それを政治的に利用する日米両政府にも好都合であった。日本のポピュリスト政治家と視聴率稼ぎのメディアによって、核抑止力が平和を守っているという虚偽と核発電が経済成長に不可欠という虚偽を庶民に信じさせ、破滅へ近づく現代社会の愚かさをごまかす結果となった

オバマが広島の被爆者に謝罪すべきか否かが、日米で大きな話題となった。私は、オバマが被爆者に謝罪できないなら、それもよいと思う。しかし、一般市民への大量破壊兵器・原爆投下は歴史的な誤りだったと、言ってくれればそれでよい。それを受けて、安倍は先の戦争で日本はアジアの人々への侵略と虐殺いう重大な誤りを行ってしまったと素直に表明すればよいと思う。

第2次世界大戦中にマンハッタン計画で核兵器を開発したアメリカが広島に投下したものは、純度の高いウラニュームを使うタイプであった。さらに長崎にはプルトニュームを使うタイプが投下された。ウラニュームの連鎖反応を一気に行う原爆の開発と並行して、ゆっくりウラニュームの連鎖反応を行い、プルトニュームを生産する方法が開発された。このプルトニューム製造装置が核発電所(原子力発電所)となったわけである。第2次世界大戦中に広島・長崎で、これら核兵器の人体実験とソ連への牽制を行ったアメリカは、戦後これを「平和利用」と称して各国に輸出し、マンハッタン計画に費やした莫大な戦費を回収しようと考えた。ただし、アメリカは、当初は核兵器を独占して世界の指導国になろうとしたが、ソ連・イギリス・フランス・中国の戦勝5か国が、相継いで核実験に成功するに従い、NPT体制(IAEAが世界を監視し、核武装を戦勝5か国に限定し、厳しい監視下で「核発電」のみを許すことにした仕組み)を推進した。
「核発電」の過程で必然的に生産されるプルトニュームの管理を、実質5か国中心のIAEAが行い、核兵器(プルトニューム型核兵器)の拡散を防ごうということである。イスラエル、南アフリカ(後にやめた)、インド、パキスタン、イラン、北朝鮮が、ひそかにあるいは公然とこの秩序に刃向かい、日本などもひそかにこの技術をため込んでいることは、公然の秘密である。簡単に言えば、「平和利用」の名のもとに、ウラニュームの連鎖反応を利用する「核発電」を行えば、プルトニュームが手に入り、核武装の準備ができるということである。この「核発電所」を世界に売り込もうと必死なのが、日本・中国・韓国などなのである。日本政府、原子力村を形成する大学・研究機関・企業などが組織の延命のために、核発電所を再稼働し、海外へ輸出したいと動き回っている背景には、この核武装の潜在力維持が暗黙の裡に含意されているのである。


背景資料
国連に提出されている核兵器禁止条約NWCの概要(Wikipedia)
目的  核兵器の全面廃止と根絶。ただし、平和のための原子力は禁じていない。
概要 1996年4月、NWCは「モデル核兵器禁止条約」(Model Nuclear Weapons Covention, mNWC)という名で、核兵器の廃絶を求める各国の法律家、科学者、軍縮の専門家、医師及び活動家らが参加する3つの国際NGOから構成されるコンソーシアムによって起草された。mNWCは、核軍縮の可能性を「法的、技術的、政治的要件に沿って検証する」こと目的としていた。1997年11月、mNWC(UN Doc. A/C.1/52/7)はコスタリカ政府により国際連合事務総長に届けられ、国連加盟国に配布された。
2007年4月、mNWCはNGOコンソーシアムを招集した核政策に関する法律家委員会(Lawyers' Committee on Nuclear Policy, LCNP)を通じ、コスタリカ及びマレーシア政府により核拡散防止条約(NPT)運用検討会議の第1回準備委員会(Preparatory Committee for the 2010 Review Conference of the Parties to the Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons)で改訂版の「NWC」(UN Doc. A/62/650)として提出された。NWCは、以下の項目に渡って核の取扱いを禁止する。
開発(development),実験(testing),製造(production),備蓄(stockpiling),
移譲(transfer),使用(use),威嚇としての使用(threat of use)
2011年10月26日~31日、国連総会で軍縮・国際安全保障問題を扱う第一委員会は52の決議を採択した。このうちマレーシアなどが提出した核兵器禁止条約の交渉開始を求めた決議[1]が127ヵ国(昨年より6ヵ国多い)の賛成で採択された。

2015年5月の国連NPT再検討会議で、日本政府は107の国々が賛同したオーストリアの提唱した核兵器禁止文書に、アメリカに追随して反対した。


「核兵器禁止」日本は賛同せず 被爆国なのにどうして?【NPT再検討会議】
            The Huffington Post (2015年05月24日 14時12分 JST )
生物兵器、化学兵器、地雷、クラスター爆弾、これら非人道兵器は、国際的に使用が禁止されている条約がある。しかし、核兵器を禁止する条約は、未だ存在しない――4月下旬からニューヨークの国連本部で開催された核拡散防止条約(NPT)再検討会議では、核兵器の非人道性が中心議題の一つとなり、107の国々がオーストリアの提唱した核兵器禁止文書に賛同した。しかし、アメリカの「核の傘」の下にある日本は、アメリカに配慮して賛同せず、被爆国として核の恐ろしさを訴えながらも核を否定できないという「二面性」を見せた。
この文書は核兵器の廃絶・禁止に向けた法整備の必要性にも触れている。2月18日朝刊の中国新聞によると、外務省の関係者はこれまで、文書に賛同しない理由について「核の非人道性の議論が、核軍縮のプロセスを分断するものになってはならない」と説明したという。
外務省幹部の言う“核軍縮のプロセス”とは、「段階的なアプローチが唯一の現実的な選択肢」とするアメリカやイギリスなど核保有5大国のやり方を指す。これに対して、急速に核軍縮を目指す国も存在する。その一つがエジプトを中心とするアラブ諸国だ。
エジプトは1974年に「中東非核地帯構想」を提唱して以来国是としており、2010年には、「(中東の)いかなる国も、大量破壊兵器を保有することで安全が保障されることはない。安全保障は、公正で包括的な平和合意によってのみ確保される」と、自国の立場を明らかにした。
中東非核地帯構想にアラブ諸国は賛同するが、NPTに参加せず、核兵器を事実上保有するイスラエルは、「まず、イランなどに対して適用したあとで、イスラエルに適用すべき」というような趣旨の、アラブ諸国とは異なる立場を取る。
核の存在によって、中東地域でイスラエルが覇権を握ることを警戒するエジプトなどアラブ諸国は、2010年に開かれたNPT再検討会議で、中東の非核化を協議する国際会議を2012年に開催することを勧告する内容を条約に盛り込むことを条件に、NPTの無期限延長を受け入れた。しかし、会議が開かれれば、イスラエルの核保有が問題視されるため、結局国際会議が開かれていない。
今回のNPT再検討会議でも、エジプトらは2016年に中東非核化国際会議を開催することをNPTに盛り込もうと提案。しかし、アメリカがイスラエルを擁護して反発し、国際会議を開催する時期について検討期間がないことや、中東各国が平等の立場で、開催合意に至るプロセスが明確化されていない点などをあげ、国際会議の開催を強引に進めるとしてエジプトを名指しで非難。会議は決裂した。
約4週間にわたって行われた再検討会議の実りのない結末に、広島1区選出の岸田文雄外務相は「大変残念」と発言。しかし、核兵器を保有する中国や北朝鮮が身近にあることもあり、外務省は核の傘について、「社会においては、依然として核戦力を含む大規模な軍事力が存在している中で、日本の安全に万全を期すためには、核を含む米国の抑止力の提供が引き続き重要」としており、アメリカの核抑止力が必要だと説明している。
今回の日本政府の対応について国際NGOネットワークの核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)は、「核兵器の恐怖を経験しているにもかかわらず、日本は核軍縮に向けた現実的なビジョンを説明することに失敗した」と指摘した。(The Huffington Post)
コメント
以上のような核兵器禁止条約NWCの現状について重要な第一のポイントは、この条約案が核兵器の全面廃止と根絶を目指しているが、平和のための原子力は禁じていないことである。第二のポイントは、日本政府がこの条約案に反対していることである。
ここで重要な言葉の使い方を指摘したい。「核兵器」という言葉は日本でも普通に使われる。しかし、「核発電」という言葉はない。英語では、Nuclear WeaponとNuclear Power Stationであり、「原子力発電」とは言わない。日本では、「核発電所」ではどぎついイメージなので、「核兵器」とはちがう平和的なものだと強調して「原子力発電」という言葉を使うのではないだろうか。(田尾陽一)

G7外務大臣7人が広島市を訪問 (2016年4月8日 朝日新聞)
2016年4月8日、来日中のG7外務大臣7人が広島市を訪問し、平和祈念館と原爆ドームを訪れ、広島宣言を発表した。その宣言では、核兵器保有国の意向を忖度し、「核の非人道性」を宣言に含めなかったそうだ。実際の宣言は「広島と長崎の人々は原爆投下により、甚大な壊滅と人的苦痛を経験したが、自らの街をこれほど見事に復興させた」と述べている。日本の外務省は、ここを「極めて甚大な壊滅と非人間的な苦難という結末を経験し」とわざと誤訳し、日本人に核保有国に媚びへつらった日本政府の姿勢を姑息にごまかそうとしていることを示している。日本政府の菅義偉官房長官は、「持たず、作らず、持ち込ませず」とする非核三原則を踏まえ、「政策上の方針として一切の核兵器を保有しないという原則を堅持している」と述べている。しかし一方安倍内閣は「日本が核兵器を保有、使用することについて憲法上、禁止されていないとする従来の政府見解を維持する」と再三述べている。これは明確に「憲法上は核兵器を持てるが、政策上は持てないことにして置く」という意味である。昨年、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更を政策的に行った前科からすれば、どこかで政策的に核兵器保有に踏み切れるようにしておくという意図は明確である。


New York Timesの社説「言葉だけで核兵器のない世界はこない」
オバマ大統領広島訪問に際して
「我々は恐ろしい力に思いを致すために来た」とオバマは訪問の目的を述べた。彼は犠牲者を悼み、核兵器について世界的な「道徳的目覚め」を呼び掛けたが、もし核兵器のない世界への一歩をもたらす具体的な計画を表明していれば、メッセージはより力強いものとなったであろう。
オバマは謝罪しなかった。戦争の責任は日本にあることを確認した。オバマは「戦争を生んだのは最も素朴な部族の間で紛争の原因となったものと同じ、支配あるいは征服という基本的な本能であった」と述べた。安倍首相は日本も犠牲者であるように屡々歴史を書き換えようとするので、この点は重要である。
将来については、「広島と長崎が、核戦争の夜明けではなく、道徳的目覚めの始まりとして知られる」将来とし得ると述べた。「恐怖の論理から逃れ、核兵器のない世界を追求する勇気を持たねばならない」とも述べた。
オバマはロシアとの2010年の新START条約とイランとの核合意を遂げたが、軍縮に反対するロシア、包括的核実験禁止条約の批准に反対する上院、カットオフ条約の交渉を妨害するパキスタンのために、それ以上の前進は阻まれている。オバマ大統領も安倍総理も日本に積み上がっている47トンのプルトニウムの問題には触れなかった。日本による再処理の停止に向けての計画は歴史的訪問にふさわしい成果であり得たであろう。米国の空中発射核クルーズミサイル計画の破棄など他にも可能なイニシアチブがある。言葉だけでは核兵器のない世界はやって来ない。
‘Turning Words Into a Nuclear-Free Reality’(New York Times, May 27, 2016)
スポンサーサイト



タグ :

福島原発への道-5 2011年4月20日

 2011-04-22
GVJ実行委員会の日本人メンバーで、下記の「要望書」を作成した。
これは、世界各国から日本の地震津波、原発事故の被災者の支援のために届けられた1000億円以上の義援金の在日外国人被災者への配分についての要望である。私は、死亡・行方不明・けが・物的精神的被害などを受けた外国人(留学生、就労者、旅行者など)に対して日本人被災者と同じような義援金配分が行われるべきであると考える。外国からの義援金以外に日本政府の支援金や東京電力の損害賠償金も同じ扱いであるべきだろう。このような注意喚起をしなければ気がつかない可能性をもつ日本社会のあり方を深く反省し、古い人心を一掃し、新しい精神を構成していくことこそ私たちの責務である。

私は昨日、衆議院議員会館に行き、仙谷・枝野・前原・黒岩・津村。川村・谷垣・古川元久・与謝野の各国会事務所に届けた。議員自ら出てこられて、賛成だ、すぐ動くと言ってくれる人もいた。与謝野事務所の尽力で、次のことが判明した。
本件要望についての厚生労働省の担当者の見解は、「義援金は「民→民」の関係のため厚労省等は口出しせず(社会福祉法人 中央共同募金会がとりまとめ)、その配分方針等は、各県が委員会を設け決定する仕組みです。御要望については、県の義援金担当部局に対して、被災外国人が支援の対象から漏れることの無いよう、個別に要望される必要があると思います。被災県の窓口(岩手県-保健福祉部保健福祉企画室、宮城県―保健福祉部社会福祉課、福島県―保健福祉部社会福祉課)。なお、阪神淡路大震災時には、兵庫県・神戸市が、義援金で死者・行方不明者に対する見舞金(10万円)を出しましたが、その際、外国人登録の有無に関わらず、震災により死亡した事実が証明されれば支給しました。」とのことです。

そこで早速私は、岩手県政策地域部政策推進室政策監 大平 尚氏にご連絡し、要望書をお送りした。大平さんのご返事は以下の通りであった。
「本県知事が委員となっております国の復興構想会議で、知事の提案した震災復興の4視点という趣旨の中の1視点として、『国際協力事業としての復興』が挙げられております。趣旨は、『国際協力事業としての復興ということで、外国からの緊急援助隊、外国からの物資など、岩手県民も大変驚いている。また、岩手県の沿岸地方にも、この中国人研修者、働いていた人たちが被災して、中国の総領事が飛んできて安否確認をするとか、またアメリカ人の先生が亡くなったのを家族が飛行機で飛んできて引き取りに来るとか、国境を越えた被災者支援から復旧・復興へという国際協力事業としての側面があると現場の方でも実感している。復興には、情報共有と連携が大事である。』 このように、外交官出身の知事ですので、国際協力・国際連携が重要と考えております。事務局には、人道的視点・国際連携という視点で取り組むように指示しました。」 「岩手県の具体的対応ですが、外国人についても、県民と同様の取り扱いを行うこととしております。旅行者については現在確認されておりませんが、同様の考え方です。
ちなみに、岩手県内の外国人被災者は2名(死亡)。1名は帰化外国人、もう一名は英語指導助手。現在、英語指導助手の方の家族の連絡先を確認中です。」(大平 尚)

現在私たちは、岩手県と同じようなお願いを、宮城県・福島県・茨城県に対しても行おうとしている。


要 望 書
            《外国人被災者に確実な支援を》

Global Voices from Japanは関係各位に下記の要望をいたします。
世界各国から、東日本大震災に暖かい支援が寄せられており、改めて世界の一員としての日本が実感されております。この尊い義捐金を一刻も早く、被災者へ届け生活の再建の一歩にしていくことが、私たちが世界の好意に応える義務であります。
ところで、被災地域には約7万5千人の外国人が居住し、その中で19人が犠牲となり280人ほどの外国人が未だ行方不明と報じられています。こうした外国人犠牲者・被災者(居住者・旅行者を含む)には、日本人と同等の義捐金が支給されると報道されてはいます。私たちは、外国人犠牲者・被災者に対して日本人と同等の義捐金支給などの支援が、確実に実行されることを願っています。
また、外国人犠牲者・被災者の中には、在留資格外在留者や超過滞在者なども含まれていると予想されます。こうした被災者の中には、超過滞在や在留資格等の問題で自ら申し出ることができない立場にいる方々も多いと思われます。
私たちは、在留資格種類・有無にかかわりなく、人道的観点から、同等の支援が行われることを要望します。被災外国人の支援にあたり、従来の自治体任せ、縦割りの省庁任せの体制では、外国人側の混乱を助長し、せっかくの善意がかえって諸外国のひんしゅくを買う結果を生みかねないことを危惧しています。
被災外国人の支援を確実かつ効率的に実行するために、私たちは、外国人の所在、被災の程度等の継続的な追跡調査、支援額の決定などを統合的に判断し、一元的に実施する責任を持った独立の体制・組織を立ち上げていただくことを要望します。
この要望は、一刻の猶予も許されないものであり、政治主導による決断と迅速な対応が求められるものと考えます。
関係各位のそれぞれの立場に立った迅速な対応を願ってやみません。

2011年4月15日    
  Global Voices from Japan
    評議員会議長        明石 康   
    実行委員会委員長      田尾陽一
    事務局長          角田英一    
    実行委員会日本人メンバー 一同

上記の趣旨に賛同し、関係機関への指示・連絡・要請等を行います。
1.    YES
2.    NO

お名前                       

上記の岩手県知事の『国際協力事業としての復興』という方針は、大変優れていると私は思う。今回の地震・津波・原発事故は、日本だけの問題ではなく、現代世界が抱える共通の問題である。これから長期間に渡り、日本全体が担わなければならない東北地方の復興について、同じ地震・津波に襲われたインドネシア・マレーシア・タイ・スリランカ・インド・バングラデシュ・ミャンマー・モルディブ・東アフリカなどの国々、これからもリスクのある原子力発電所を運用している国々がこの復興計画に参加協力して、そこで得られる成果を共有することは、きわめて重要な課題だと私は考え、その実現に協力していくつもりである。
タグ :

福島原発への道‐4 2011年4月7日

 2011-04-08
4月5日の早朝、東京を出発し、つくばの研究所で放射線モニタ(高精度データ連続計測、携帯電話網を使ってデータ自動送出機能を持つ)を積んで福島第一原発へ向かった。これが3回目の福島行となる。常磐道、磐越道は順調に走る。3月31日と同じ経路を取り、船引三春ICで降りて田村市の災害対策本部を再訪した。つくばの若手研究者数人が3日間位、徹夜であらかじめセットアップしてくれた放射線モニタを設定したいので、どこが適地か相談したいと、前回の担当者にお話した。前回断られた理由の、霞ヶ関と県の承認を得たということを伝えた。疑り深そうな顔をした担当者は、電話で確認するから待てとのこと、適地を探し回っていた私のところに来た返事は、上が設置しろと言っていないので、断るとのこと。エッ!? そこで霞ヶ関と県に連絡した所、昨日設置をOKと言ったのは、市が設置をしてほしいという話だったからとのこと。市が中央の指示がないと設置しないといっているので、国や県も指示しないという結論。なんだ!これは! 要するに、誰も責任を取りたくない、タライまわしということ! これでまたこの社会のメルトダウン状態を経験することになった。私はもう怒りを忘れ、かえってサバサバした気持ちになってすぐあきらめた。私が山登りに行く国などで、役人の規制に会うとすぐあきらめる現地の人がいるのを思い出して、ナンダ日本も同じなんだと改めて思う。
避難所にいる人たちや世話をしている担当者と話したときは、直接この場所の放射線強度が24時間みられるのはありがたいと皆よろこんでいたのだが、こういった役人を誰が育ててしまったのか。彼らを首にする力もない、怒りをぶつけるところもないわが身の寂しさを感じた。

すぐ帰るのも後ろ髪を引かれるので、都路地区・古道の20km阻止線までもう一度行ってみる。前回訪問したガソリンスタンドのおばさんや、ケーキ屋のおばさん(と言っても40代の女性で私の娘ぐらい。おばさんなんて呼んじゃって私も若いな!)もにこやかに迎えてくれる。30kmから入ってくる住民もだんだん減ってきているので商売にもならず、この先どうしようかと不安そうな様子。阻止線の道路で、ガイガーカウンタは1.4μSv/hを示す。

ちなみに、前回ここら辺で計測した放射線モニタでは累積325μSvを示したと報告した。何故今回は違うのか。
この放射線モニタは科学者が使っているもので、信頼性はあるはず。そこで前回は3台の放射線モニタのうち1台が累積325μSv 、他の2台が1μSvと2μSvであった原因を探ってみた。今回は、新たにガイガーカウンタも持ってきた。同じ場所で、ガイガーカウンタで測ると、max1.7μSv/h、300m位離れると0.7μSv/hだった。そこで、2時間滞在しても2~3μSvぐらいかなという結論である。風や雨の影響があるし、阻止線のところは東西の道路で峠を越えて海(原発)側からの風の通り道かなと、考えられるので、周辺より相対的に放射線の値は高いようだ。また、31日と5日で排出源の状況も変わっているはずである。それにしても、前回の累積325μSvはおかしい値であるというのが結論である。これは、たぶん放射線モニタを胸にぶら下げるように私が皆に言っていたので、モニタを胸にぶらさげたまま携帯電話で通話した人がいた影響だと考えられる。モニタの側で通話すると測定値が上がるとのことである。

総合体育館の避難所に寄ってみた。800人位いた大熊町の人々は大半が一昨日会津に移り、今は100人位になっていた。入り口付近で偶然出会った青年と話した。彼は、福島第一原発の現場の技術者で、適宜30キロ圏外で休養するよう東電から言われている非番の人であった。彼の話では、原発のまわりで大体2mSv/h位、携帯は auのみが時々つながる。皆、PHSを持っているが外部に通話する人は少ないようだとのこと。

現在の福島第一原発の状況について、前回の報告では、「タービン建屋の地下の放射能を含む水が、坑道・取水口・放水口を経由してか、電源トレンチの海側のピットの割れ目から海に流れているらしい。地下水の可能性もあるという。この事実は、炉心内でウラン燃料を冷やし続けている海水・真水が、どこかで漏れていることを示している。また2号機では格納容器の圧力抑制室に損傷の可能性があり、そこから漏れている可能性もある。では、ウラン燃料は、元の形状を保っているのだろうか。可能性は低いと言われているが、ウラン燃料が何らかの形で炉心底部に崩れ落ちている可能性も完全には否定できない。」と述べた。すなわち、炉心を冷却するために入れている水が、放射能を帯びたまま格納容器から外部に漏れて、大量の排水に混ざり、行きどころを失っている状態である。未だ、冷却水の循環系が回復せず、放射能入りの冷却水がダダ漏れになって、海に注がれたり、地下に浸透しているという状態である。

今回もその悪いシナリオ②の中間にあり、安定方向に向かってはいない予断を許さない状態である。昨晩は、再度水素爆発の可能性があるという発表があり、1号機に窒素を注入した。今後2号機3号機へ処置するとのこと、ウラン燃料の損傷は1号機70%、2号機30%、3号機25%という発表だが、損傷の詳しい状況は不明。水素発生のメカニズムも、各種推定できるが、本当に何が起こっているかは不明である。
高濃度放射能を含む排水の海へのもれを一部ふさいだとの発表があるが、海水の汚染は止まっていない。今後も増加せざるを得ない莫大な汚染水の海や土壌へのもれを防ぎ、大気への放射能放出を止めるためには、「仮の循環系」の確立が急務のような気がする。これは例えば、定常時に人体では心臓を核にして体の中で血液循環が行われているが、けがをすると血液が体の外に出る。心筋梗塞のように心臓に重大な損傷が起こると、人工心臓で仮の外部循環系を作り、心臓手術を行って成功すれば元の循環系に戻す。これと同じように、炉心に重大な損傷を受けた原子炉の冷却系を「仮の外部循環系」を確立して炉心を冷やし続け、そのまた外側の環境と切り離すことが、今行わなければならない唯一の解であるようだと私は考えている。今行われている、玉突き状の汚染水の移転プランのみでは、早晩行き詰るはずである。現場責任者も必死に上記のような策を模索しているはずだと思いたいが、確実な情報は伝わってこない。私たちも知識と想像力をしぼり出して緊急に出来ることはサポートしていきたいと考えている。
タグ :

福島原発への道‐3  2011年4月2日

 2011-04-07
原発事故後2度目の福島
一昨日3月31日早朝東京を車で出発、つくばで放射線測定器を借用し、常磐道を使って、
いわき市の津波地域を経由し、さらに磐越道の船引三春ICから国道288号線(都路街道)を東に向けて走り、田村市都路地区(行政局)の古道地域(福島第一原発より20kmで、立ち入り阻止線がある)まで、車で走った。私の目的は、原発周辺に客観的で正確な放射線測定器(モニタ)のネットワークをつくるための調査である。同時に、知り合いのスリランカとシンガポールの女性ジャーナリストの現地取材協力要請に応えることである。彼女たちは、それぞれ現地で起こっている正しい事実を、世界に向けて発信してくれるだろう。同時に、在日外国人としての立場で、GVJのこのサイトにそれぞれの見方を書いてくれる約束である。

福島第一原発から20kmにある都路地域の古道というところに、警察の阻止線があった。民家はかなりあるが人影は無く、ここで通行止めで部外者は入れない。警察官に目的を説明し、この先まで行きたいと要請したが、許可証の提示を要求され断られる。許可証とは、何なのか不明。国・県・市・東電など、どこに言えばいいのかなど全く不明。阻止線の脇道にしばらく駐車し様子を見る。時々みぞれ混じりの雨が降ってくる。

しばらくして、大型バンがやってきて我々の側に駐車する。側面に、関西電力美浜原発・環境放射線モニタ車と書いてある。巡回しながら、放射線を測定している。どこに役立てているのか不明。多分、東電の応援であろう。住民向けに、何かやっている気配はない。都路付近までで、我々の3台の線量計はすべて、累積1マイクロシーベルト程度。
  
この付近で住民がいる家を探す。阻止線手前100m位の自動車修理工場では、経営者の奥さんと娘さんが車に荷物を積んで避難しようとしており、話そうとするときつい目でにらまれ、その雰囲気のすごさに会話を遠慮する。従業員の修理工のおじさんと青年が、奥さんの目の届かないところで、大変親切に対応してくれる。地震前に頼まれた車の修理を止めるわけにいかないから、船引から通いで仕事をしているとのこと。399号に100m位入ったところにガソリンスタンドが開いていて、おばさんが一人いる。30km圏外の避難所から時に家に帰る人がいるので、お役に立とうと毎日、群山からこの20km阻止線のちょっと外側の店に通って開店しているとのこと。ここで私たちの線量計は、325μSvを示した。

田村市船引公民館に行くと、お巡りさん3人が親切に状況を説明し、地図を書いて避難場所を教えてくれたので、丘の上の田村市陸上競技場体育館に行く。大熊町の避難民800人が、体育館の床の上に、路上生活のような状態でぎっしり入っている。法被を着た大熊町消防団が、世話している。九州から何人かの自治体職員が応援に来ており、相談デスクを設置している。次に、西に10km位走って、工業団地内に造られたばかりの㈱デンソー東日本の巨大な未稼働工場に行く。田村市東端の都路地区の避難民800人ぐらいが、巨大な工場の床の上で生活している。航空自衛隊が張り切って、大鍋に食事をつくっていた。若い自衛官が、自分の胸の部隊ワッペンを撮影してくれ、テントの自衛隊災害出動の表示を写してくれと、アピールしてくる。

その後、田村市役所災害対策本部に行き、放射線測定器(モニタ)の設置状況について懇談する。現在5か所で、環境放射線モニタによる計測を行っている。1時間に1回、職員が読み取って、県に報告するというやり方が主である。システマティックではなく、ネットワークも作られていない。精密な放射線モニタを設置し、既存のモニタも含めネットワーク化して住民の皆さんに常時見せるようにしたいと、私が提案すると、上(国?県?市?不明)からの指示がないと駄目とにべもなく断られる。

本日の任務を終え、23時に東京に到着した。最終的に線量計の最大値は、本日だけの累積で326μSvであった。ちなみにレントゲンを1回受けると、約500μSvと言われている。放射線モニタ・ネットワークの形成については、現場の抵抗(どこでも普通にあること)にもめげず、実現に向けて次のアクションに移ることにした。

福島避難地域の住民の皆さんの状況
東日本大震災は東北地方全域から関東地方にかけて大災害をもたらし、未だその全容がつかめているわけでもない。何より被災者への救援をさらに強化しなければならないと思う。私が訪問した福島県浜通り地域は、とりわけ地震・つなみ・原発事故の三重苦に苦しんでいる。原発周辺の住民は、ほぼ30km圏外の避難所暮らしになっている。20km圏内の住民で、混乱の中で預金通帳さえ持って来られなかった人もいる。20km~30kmの住民もほぼ避難所に移り、時々家や仕事場に戻る人もいる。集落全体が無人なので、戸締りもせず避難してきて、空き巣にあったといううわさも聞いた。家畜も閉じ込めたら餌もなくなるので、放牧状態にして出てきた人が多いので、餌をやりに帰りたいという人も多くいる。

何より、原発事故の終息の見通しが全く知らされておらず、避難所生活がいつまで続くのかもわからず、ストレスが大きい状況である。東京電力も、首脳部が東京の方で記者会見をしたりしているが、原発の状況や放射線モニタの結果を地域住民に知らせる努力をしていない。田村市陸上競技場体育館の隅の方に大型テレビが設置され、折りたたみ椅子が数十並べてあった。地元の女医さんが言うには、事故後4~5日はテレビの前にみんな群がって食い入るように記者会見などを見ていたが、今は全く東京の記者会見など興味が無くなっているとのこと。何を聞いても信頼できないということであろう。私が見に行くと、テレビの前に一人の青年しかいなかった。

地元住民は、原発の詳細状況やどんな構造になっているなどの大学教授たちの解説を聞いても全く安心できないし、「それでどうなんだ? もっと遠くに逃げろというのか? いつ戻れるんだ?」などの気持ちなのではないだろうか。私は、この避難民を含む周辺住民に、衣・食・住・医療・介護・生活支援などについて少しでも安心な生活環境の提供を急ぐべきだと思う。今は、その統一本部機能が国・県レベルでほとんどないに等しい。市町村レベルでは日々の現場対応で手いっぱいの混乱状況が続いている。放射線汚染地域での各種活動は、まず前提として誰もが恐怖心を持っているので、充分な機能を果たせない。そして、知識不足、情報不足、測定機器の不足、情報の集約不足などの状況である。ボランティア組織も動き出しているが、やはり放射線の存在が、他の地域との大きな違いになるようだ。

周辺地域に放射線強度や核種と濃度を分析する正確な放射線モニタ・ネットワークを作る必要があると思う。そして危険性の程度を、住民に直接・正確にわかり易く知らせるシステムが必要である。また、すべてがうまく行っても定常的な状態になるのに何ヶ月・何年と掛り、さらに廃炉にする長期のプロセスが控えている。この期間を通じて周辺地域の放射線モニタ・ネットワークは不可欠である。私の属している“憂慮する科学者グループ”は、この実行のために動き出している。

第一原発の推移
2011年3月30日 福島原発への道-2で、私は次のように述べた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
本日までの状況は、どう考えられるであろうか。残念ながら、楽観シナリオは崩れたと思う。
そして今は「悪いシナリオ」の①のプロセスにあると思われる。すなわち、蒸気・水素による圧力容器爆発は起こっていないが、すでに建屋上部を吹き飛ばした水素爆発の結果が、いろいろな破壊を引き起こしており、炉内燃料の一部融解とそれが混じった水が、1~3号機のタービン建屋の地下と外へつながる坑道に大量に溜まっている。必須である炉心の冷却を続けなければならないが、この放射能混じりの大量の水をこれ以上外(海や土壌)に出さないようにするという、非常に困難なプロセスを乗り切らなければならない。しかも、6機ある全ての原子炉の多くの箇所での計測をきちっと行い、全体状況をつかみ、マニュアルにない手探りの制御を、よりシステマティックな制御へと移行しなければならない。

上記の「放射能混じりの大量の水をこれ以上外(海や土壌)に出さないようにする」という願望は、その後くずれ、本日の保安院の発表では、第一原発から330mの海水で基準の4385倍、南に40kmの海水で基準の2倍の放射性ヨウ素が検出された。これは、タービン建屋の地下の放射能を含む水が、坑道・取水口・放水口を経由してか、電源トレンチの海側のピットの割れ目から海に流れているらしい。地下水の可能性もあるという。この事実は、炉心内でウラン燃料を冷やし続けている海水・真水が、どこかで漏れていることを示している。冷却水不足が継続し燃料が露出していた事実があり、ジルコニューム被覆がはがれたペレット状のウラン燃料から水の中に高濃度放射能(放射性ヨウ素とセシューム)が混入した可能性が高い。炉心から外につながっているパイプのどこかに、冷却水の一部が漏れているのであろう。また2号機では格納容器の圧力抑制室に損傷の可能性があり、そこから漏れている可能性もある。

では、ウラン燃料は、元の形状を保っているのだろうか。可能性は低いと言われているが、ウラン燃料が何らかの形で炉心底部に崩れ落ちている可能性も完全には否定できない。その高熱で圧力容器・格納容器に穴が開いているという可能性は、否定され続けているし、私もそんなことは無いと信じたい。以上の推測は、あくまで公開情報に基づくものである。では公開されていない、きちっとしたデータが東京電力の現場にあるのだろうか。私の推測では、水素爆発などによるこれだけの破壊が起こっている巨大システムで、これらをコントロールするための基本データ(各部の温度・圧力・水位など)が正確に取れているとは思えない。それらデータの不確実性の中で、原子炉の安定に向けて現場で必死の努力が行われているのだろう。何か現象が起こるとそれへの対処を後追いでやっていくしかない状態であろう。

いわば、隔壁が無くなったこともわからずに必死で機体をコントロールする試みをしながら、御巣鷹山に向かっていく日航ジャンボ機を思い出すのは、私だけであろうか。ぜひ胴体着陸でも、海への着陸でも、軟着陸を祈らずにはいられない。テレビ・新聞に出てくる多くの原子力関係者やマスコミの解説者は、自分たちも想定もできない新しい事態に毎日遭遇する。すると、その時々の変化した事態に対し、口をそろえて異口同音に実にうまく合わせた楽観シナリオを解説する。 私たちは、これを信じるか、信じさせられるかしか方法は無いのであろうか。

とにかく私たちそれぞれは、今各人が持っている意思・経験・知識などを、この事態の鎮静化に向けて注ぎ込むしかないと思う。しかし同時に、この事態の責任者・関係者・報道機関・過去を含む関係者のこの間の言動を、その発言の動機に特に注意をして記憶しておく必要があると思う。それは今後このような第2次世界大戦以来の悲惨な人災を防ぐ教訓という意味でも重要であると思う。

タグ :

福島原発への道-2  2011年3月30日

 2011-04-07
この頃、私は時間の感覚が混乱している。大地震・津波・原発事故が、18日前なのか、昨日なのか、はるか前なのか、頭の中が混乱する。東海村から福島第二原発に向かったのは、25日なのだが、時にずっと前のような気がしたり、昨日のような気がしたりする。これは、時々刻々変化する福島第一原発の混迷の状況に、心が奪われているせいだろうか。あるいはこの状況の中に、日本社会の絶望的な混乱と構造的・知的な頽廃を見てしまっているからか。

私も力不足ながら、”憂慮する科学者グループ“の組織化にたずさわり、コーディネート役の一端を引き受けて、具体的対応を行っている。福島第一原発事故の現場は、大変な緊張と混乱の中にあると想像している。最高レベルの透徹した危機管理マネージメントが行われていなければならない緊急事態である。東京の霞が関や東京電力の意思決定機能を喪失した所ではなく、直接対応せざるを得ない体を張っている危機の現場と、それをサポートできる知見をネットワークするべきである。記者会見を何度繰り返しても危機は去らない。

私はもともと原発推進の危険を感じ、批判的態度をとってきた人間であるが、この緊急事態を前に、あらゆる知識と行動力を駆使して、事態の鎮静化をはかる必要があると考えている。火事が燃えている時に、これを消す実行力とそれを助ける経験と知識の結集が必要である。この危機を何とか安定化させて定常状態に持ち込んでから、責任の追及や意識・組織の抜本的な改革を行えばよい。事態を高みから評論したり、自分の興味で知識をひけらかしたり、自分を売り込んだりしている暇はない。善意であれ、心配そうに自分の原発関係の経験を語る必要もない。あえて言えば、原発推進だ/反原発だという議論をしている暇もない緊急事態である。知識のある人は、現場の苦闘を少しでも助ける具体的な対策を考え、現場対応を正しく行うために、邪魔をするのではなく助けなければならない。危機を脱するために具体的に対応する話以外は、全く無用なものである。

「現在の福島第一原子力発電所事故状況について 私の見解」(2011年22日8時)では以下のように事態を整理している。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
楽観シナリオ
現在の自衛隊や消防庁の放水の効果が徐々に出て、放射能レベルが下がっていく。電源確保の工事が進んで原子炉内の冷却系の複雑な機能回復がうまく行く。プール内の使用済み燃料、1~6号機の圧力容器内の燃料の両方が、定常的に冷却されるプロセスが、長期的に安定する。
悪いシナリオ
これには、さらに2段階のシナリオがあります。それらは、あくまであってほしくない、確率も低いかもしれないシナリオですから、すぐに単純に起こると信じないでください。
① 一つの原子炉で蒸気・水素による圧力容器爆発が起こり、その連鎖で使用済み燃料(4546本)、1,2,3号機の炉内燃料(計1496本)のウランとプルトニュームのかなりの部分が流出する。
② 圧力容器内のウラン燃料棒と制御棒のある部分で、Nuclear Chain reaction(核連鎖反応)が起こる。核爆発が起こることはないと思われますが、いわゆる未熟爆発が起こり、炉全体が破壊されるか、地下などに燃料が漏れ出して高放射能物質が長期間にわたり流出し続けることになる 。

① ②のいずれにしてもある地域限定ではあるかもしれませんが、現在の見通しよりもはるかに大きな
災害となります。この地域というのが、半径20~30㎞では足りず50~80㎞に及ぶかもしれません。その際の住民への指示や移動に、未曽有の大混乱が予想されます。その後かなりの期間、この地域の農業・漁業・商業・工業や住民の居住環境に大きなインパクトを与え、ひいては日本・世界の経済はもとより、環境から人間の意識まで大きな影響が出るでしょう。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

本日までの状況は、どう考えられるであろうか。残念ながら、楽観シナリオは崩れたと思う。
そして今は「悪いシナリオ」の①のプロセスにあると思われる。すなわち、蒸気・水素による圧力容器爆発は起こっていないが、すでに建屋上部を吹き飛ばした水素爆発の結果が、いろいろな破壊を引き起こしており、炉内燃料の一部融解とそれが混じった水が、1~3号機のタービン建屋の地下
と外へつながる坑道に大量に溜まっている。必須である炉心の冷却を続けなければならないが、この放射能混じりの大量の水をこれ以上外(海や土壌)に出さないようにするという、非常に困難なプロセスを乗り切らなければならない。しかも、6機ある全ての原子炉の多くの箇所での計測をきちっと行い、全体状況をつかみ、マニュアルにない手探りの制御を、よりシステマティックな制御へと移行しなければならない。

東京の記者会見やWeb等で発表されているデータは、専門の目で見るとかなり矛盾を含んでおり、測定の詳細が公開されていないので、真偽が不明である。原発推進に携わってきて今はリタイヤし、現職よりしゃべれる人たちなどが、にぎやかにマスコミに登場するが、いくら解説されても、「だからどうなんだ? あなたが現場に行って何とかしたらどうなんだ?」とついつぶやきたくなってしまう。
今私たちのグループは、直接の当事者ではないので得られる情報は少ないが、現場に役立つ方策はないかと、連日検討を重ねている。また、良かれ悪しかれ長期化する放射能との戦いと地元復興の科学的・技術的検討を重ねている。

政権や与野党の政治家、マスメディアに、私は批判を持っているが、また改めてこの国の「専門家」というもののひどさには驚いている。今、「専門家」と称する人たちにより、体を張っている現場が混乱させられていると思う。私に任せれば解決してやるなどと大きな顔をしている元原子力関係者のコンサルタントなどを見ると、気楽なものだなと思う。本来の原発専門家は、具体的にこの事故を鎮静化することに、現場の縁の下として必死に努力する者であり、しゃべる暇もなく寡黙なはずである。

日本や世界の人々は、連日の新聞やテレビの報道に釘づけになっている。福島原発事故の
現在の状況、今後の見通しを、不安な気持ちで見守っている。NHKテレビは、毎日30km手前のヘリコプターからの映像を解説しながら、福島第一原発を映し出す。各局のニュースは、自衛隊が写した被災地の映像とか、避難者が写した映像を写し出す。朝日新聞3月27日朝刊では、東京電力福島第二原発で働く女性社員が、津波に流された両親を探しにすぐに飛んで帰りたい気持ちを抑えて、地震発生以来「緊急時対策本部」に缶詰になっていると伝えている。この情報は、彼女のメールを受けた東電の社員経由東電関係者から名前を伏せて、記者に伝えられたと顛末も報じられている。

これらの原発事故の報道を見ていて、私ははっと気づいた。彼らジャーナリストは、決して30km以内に入っていないことを。まれにフリージャーナリストの現地報道に紙面を提供している週刊誌がある程度だ。正規雇用の記者は、霞が関あたりのあいまいな記者会見の発表をもとに、報道をしているにすぎない。

日本の新聞テレビ、ジャーナリストは、何故福島の事故現場に入らないのか。知り合いの
報道関係者に聞いてみた。それは業界の常識で当たり前なのだそうだ。組織の上層部は、
危険で避難指示の出ている地域に、記者に行けと言えるわけがない、多くの記者は、怖いから行きたくない、どうせ警察か自衛隊の阻止線があるから入れるわけがない、とのこと。
また他の報道関係者は、イヤー自主規制ですよ、自主規制! と言っていた。

報道機関も自主規制レベルの話ならそれをやめればよいし、当局が法的に禁止と言っても、国民の真実を知る権利の代弁者と言っているだから、各社が当局と協議して現地入りの特別要求をすればどうであろう。 科学の充分な知識が無いのだから記者が怖いのはよくわかるが、短時間の報道もできないほど危険なのか、どの放射能レベルぐらいから良くないのか、防護方法はどうすればよいかなどを、検証したことがあるのだろうか?

 原子炉建屋の側とか、建屋内の原子炉のすぐ近くでは、最前線の孫請け・下請けの人たち、そしてメーカー・東電の社員たち、自衛隊・消防隊・警察の人たちが、ぎりぎりの防護をしながら作業を行っている。またその周辺で前線を支えるひとたちが仕事をしたり待機したりしている。第二原発には、もっと人がいるはずだ。上述の東京電力事務系社員の女性は、どうして10日以上退避しないで仕事をしてきたのか。家族が被災しながら長時間過酷な環境のもとで奮闘しているその女性には、できたら仕事場を離れてもらいたい。もし被ばくの危険性が大きければ、遠くに退避しない限り別の意味で大問題であるはずだ。遠くから望遠レンズで撮影したり、人の写した映像を流したりするのが、プロの仕事であろうか。部下に行けと言えないなら、昔取った杵柄で、上層部が自分で行けばいいのではないか。誰も怖くて近づかないようなところで孤立して作業している人たちのことを想像もできないのだろうか。

この国のリーダー層の混乱は、たぶん他人事ではなく、明治以来の富国強兵の流れの中で世界大戦を行った責任をあいまいにする体質も関係しているだろう。また、戦後から現在まで私たちの世代が浸ってきた高度経済成長の流れの中で、狭い領域別の専門家を育てることを良しとしてきた教育や産業や官庁の体質、それを牛耳る政治家という名の悪しきポピュリスト集団に根本的な原因があると、私は考えている。
それに責任のある私たちは、これからこの地球に日本に生きていかざるを得ない若い世代にささやかでも残せるものがあるように、老体に鞭打って考えていきたいと考えている。

また、日本に追い付き追い越せと考えているアジア各国も、日本の状況を正確に、事実に基づき判断し、良い点と悪い点を分析し、自分の国の良い意味の発展に役立ててほしい。日本の多くの人たちが、現在の問題点を克服し、社会を再生していくことに全力を挙げるだろうし、その過程でアジアや世界の人たちと、お互いを良くしていく共同作業をいとわないだろうことを、私は確信している。
田尾陽一


(補)冗談はやめてくれ。東電HPは、福島第一原発が津波にも安心なことを、現在でもアピールしている。
http://www.tepco.co.jp/nu/knowledge/quake/index-j.html
タグ :
≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫ 次ページへ ≫