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最近、思い考えること

 2016-01-01
最近、思い考えること            2016.1.1  田尾陽一

哲学への関心
最近、なぜか「哲学」にこだわっている。中学3年からの高校1年の頃だったか、哲学にちょっと興味を持って、西洋哲学の本を読んでいた記憶がある。プラトン、アリストテレスの「火・土・水・空気」の四大元素論とか、デモクリトスの原子(アトム)概念とか、ソクラテスからカント、ヘーゲル、ニーチェ・・・・
とお決まりの流れに感心するとか、ほとんど辟易するとか、それでも「哲学」を基礎に教養が身に付くような感じがしていた。将来何を勉強しようかと大学進学を意識する頃には、哲学か物理かどちらを専攻しようかなどと浅薄に考えていた記憶がある。

大学に入るとすぐ、なぜかホッケー部に入って、デコボコの土埃の運動場を走り回っていたが、そこで後に哲学科に進学し、大学院でカントを専攻する大阿久尤児と知り合った。私は結局、若いころに理数をやった方が容易に理解できるだろう、「哲学」は年をとっても遅くないと浅薄にもうそぶいて、理学部物理学科に進学し、ベトナム反戦運動や東大闘争に邁進し、大学院では高エネルギー加速器物理学を仕事にすることにしていた。大阿久尤児は朝日新聞社に就職し、ベルリン支局長時代に、ブレジネフに対するヨーロッパ50万人反核運動の記事を東京に送っていた。 私も当時ボンの彼の支局兼家に泊まっていて、ボン大学まで出かけて学生と議論をしていた。その後彼は、オーストリア支局でベルリンの壁崩壊・ユーゴスラビア紛争を取材し、後に論説委員としてもヨーロッパ担当であった。彼が2004年に亡くなるまで、時に「哲学」的論争を続けてきた。結局、私が彼の遺稿集「詩人が新聞記者になった」の編集責任を担うことになった。

福島原発事故に直面し、憂慮する物理研究者グループ設立、現地調査開始し、
2011年6月飯舘村訪問、ふくしま再生の会がスタートした。

今回の福島第一原子力発電事故に遭遇し、認定NPO法人「ふくしま再生の会」を設立し、今日まで足かけ5年間、毎週末、現地で、継続して、村民と協働して活動してきた。
そこで、いつも頭の隅で考えてきたことは、74才にもなってホッケーや山登りで鍛えたからか、まだ体力があるとはいえ、何で自分の継続的な活動が持続するのか? 現在でも、この活動に参加し、共感する村民・元サラリーマンなどのボランティア・専門家が、じょじょに会に合流し増加しているのか? 原発事故被害者への同情だけでは、手弁当で出費もかさむ現地や東京での行動が持続することは無いように思うが、どうして参加会員が明るく、のびのびと活動しているのか? コーディネート役の私自身が、不思議に思うほど多くの人のエネルギーが集まっている理由について、ふくしま再生の会の超多忙な日常活動の中でも、時に頭を整理したい気持ちが強まってきている。また、ふくしま再生の会の言い出しっぺの責任として、この先どんな課題にぶつかるのか、どんな展望があるのかなどを、考えておかなければならないと、思うようになっている。

そんな中で、2014年8月16日に逝去した木田元氏の訃報を新聞で読んで、彼の著作「対訳 技術の正体 マイケル・エメリック英訳 株式会社デコ発行」の存在を知った。木田元をよく知らなかった私は、この老「哲学者」がなぜ「技術の正体」を22年前に書いて、それを再版しその前書きに「原発事故の本質」について書いたのか、大変興味を持ってこの本を購入し、最初の数ページを読んでショックを受けた。
彼は以下の文章で書き始めている。
「『技術の正体』を書いたのは、もう22年も昔のことである。人間の理性が技術をつくったというのは実は間違いで、技術というものは理性よりももっと古い起源をもつ。したがって、人間が理性によって技術をコントロールできるというのはとんだ思い上がりではないか。要約すれば、そういうことを述べたものである。」「生きた自然のなかでの技術のあり方は、どのようなものであろうか。」「日本人は、そうした力を秘めた母なる生きた自然に包み込まれ、それに順応して生きるのが人間の真のあり方だと、つい最近までそう信じて生きてきたのだ。」「震災後の日本は、あいかわらずなにかといえば経済成長ばかりをお題目に、株価の上下だけに一喜一憂している。・・・原発の危険さは十分にわかったはずなのに、早くも停止中の原発の再稼働が議論されている。」

福島・飯舘村では、生きた自然とそれと共存する人間生活が原発事故と言う近代科学技術によって徹底的に破壊され、現在も破壊され続けている。私は、環境省は環境破壊省の間違いではないのかと思い始めている。私たちは、この状況の中で人間の力で自然と人間の共生関係を再生する試みを続けている。この状況に対し、「たいしたことはない、もう絶対安全だ」「絶対危険だ。再生不可能だ」と言う原理主義的意見が飛び交っている。私たちのように村民と協働して再生をあきらめない行動を、この社会で理解する人は少ない。木田元が生きていたら、どう思うだろうか?

木田元のその他の著書を何冊か読んで、彼が「反哲学」を標榜し、ナチに協力したハイデガーに批判を持ちつつ終生執着していたこと、ハイデガーの弟子(一時恋人)にユダヤ人のハンナ・アーレントがいることを知った。私は映画「ハンナ・アーレント」を見たり、いくつかの著作を読んでみた。そこで、私は飯舘村で私が実践してきた方向性と、アーレントの論理が非常に似ていることに気が付いた。

ふくしま再生の会ではこの4年半、「現地で」「継続して」「協働して」と言う行動指針と「事実をもとに」「共感と協働」「生活と産業の再生」と言う方向性が定着している。これは、結成当初からの私の考えでもあるが、言葉として少しずつ会員間で錬成し共有されてきたものである。
ハンナ・アーレントの言いたい社会的機能の整理を、私流の解釈でまとめると以下のようになる。ここで、活動・公共・思考の意味について田尾の補足を右側に加えている。

① 労働  仕事  活動     創造的・未来への活動、個として自立的活動
② 私事  公共  社会     新しい公共、複数の人間に共有されるリアリティ空間
③ 思考  意志  判断     自己対象化、内的対話、自省、責任、自立等の思考
さらにハンナ・アーレントは、「事実を語ること」の大切さを説き、「イデオロギーや結論ありきのロジックによって、現実そのものがないがしろにされ、打ち消される事態を、歴史は経験してきた。」と表現している。

ふくしま再生の会の特徴
を整理すると、以下のようになる。
現地で/継続して/協働して、事実を基に活動しながら思考する
被害者の生活・産業の再生活動、これを通して新しい地域再生の創造を思考し論理化する。
New Public Organizationという新しい公共空間に、自立して思考する諸個人が集まる

私は、ふくしま再生の会のあり方を、現地の事実を基に、新しい協働する公共空間を形成し、各個人が自立して地域の再生を模索し思考する活動グループだと考えている。この実践活動とハンナ・アーレントの思策の方向性とは、重なり合う部分が多いことを私は発見した。ハンナ・アーレントが生きていて飯舘村に来たら、「自分が考えていたことが日本の飯舘村で細々存在していた」と言うのではないかと空想している。
私は、別にハンナ・アーレント研究者でもないし、それをもとに実践しているわけではない。もともと現地で活動しながら思考しているのである。 本を読んで、行動方針を作り、実践しているとしたら、それはイデオロギー支配まがいとか既存専門知識優先の仕事となり、自己矛盾に陥る。明治以来の日本のインテリ・専門家などの大勢は、西欧から専門知識を翻訳して持ってきて、指導原理のように振りかざすから、何となく胡散臭いのではないだろうか。やたらカタカナ英語を使うのにはうんざりするではないか。右から左までの政治勢力も、外国人・外国語の何とか説とかなんとか主義を説得力があると考えている節がある。 私の考えでは、全ての正しい行動指針は、現地で、協働して、新しい「公共」空間から生まれる、と言う訳である。

ふくしま再生の会は、政治的イデオリギーや宗教を共通指針にはしていない。これらの何か一つを組織原理にすると、異論を排除する潜在的方向性を持つことになるだろう。
ふくしま再生の会は、原発反対で放射能がとにかく危険だと思う人も、原発は必要だと思う人も、なんだか良くわからないが考えたいという人も、ある宗教を信じている人も、自然を崇拝する人も、無神論の人も、自由に受け入れている。とにかく現地をよく見て、行動に参加して、被害者の声に耳を傾けて、自立的に思考してほしいと思っている。飯舘村でのいろんな活動中や霊山センター宿泊の際には、参加者みんなで自由に異論を排除せずに、自立的な意見を言い合う空間を創るようにしている。この社会は、企業や政府や研究機関など組織に属していると、それだけで思考停止せざるを得なくなる悪癖がはびこっている。ふくしま再生の会と言う「公共空間」では、そういう既存組織の帰属意識を捨てて、自由に議論し、発言する機会を作ることに努めている。その時には、空論や独断ではなく事実をもとに議論し、立場・地位・専門知識を威圧的な力として使わないこと、イデオロギーや宗教を支配的・優越的な論理として他者に押し付けないこと、自分の経験や知識を絶対視せず現場を見て既存の概念を超えて考えることなどに留意している。

私自身の思考の方法
ふくしま再生の会のあり方やハンナ・アーレントの言っていることなどを、上記のように整理していたら、私は、若いころから全く変わっていないなと思いはじめた。
政治的な行動の最初は、60年安保闘争だった。大学に入ったといううきうきした気持ちで、高校の着古した詰襟学生服のボタンを母に取り換えてもらって、東京大学駒場キャンパスに初めて登校したら、正門前に「全学連」(後で反代々木派だと判った)のバスが止まっていて、活動家らしき学生が、「バスに乗れ、国会に行こう。安保反対」と叫んでいた。
好奇心で乗り込むと、国会前の数万のデモ隊の側におろされて、いつの間にか見知らぬ人たちとスクラムを組んで「安保反対!岸を倒せ!」とデモをし始めていた。それからは、大学に行くとクラス討論に明け暮れて、ここからすぐ現地行動に参加しながら考えるというスタイルが出来あがった。各クラスの旗を作ってデモに持って行っていたが、なぜかライトブルーの粗末な布にS1-4組と書いてあった。クラスの同期生の中で、妙にクリアな意見を言う山本義隆君や清水韶光君もそこで初めて知り会った。以来、清水君は昨年亡くなったが、山本義隆君との付き合いは物理学科・物理大学院・ベトナム反戦闘争・東大闘争・東大裁判闘争…などなど、56年になろうとしている。同じような軌跡を重ねた同年代の友人は、次々と亡くなっていったが、何か相通ずる同時代人の感覚を理解する人々は少数になってきている。 
私の思考活動は、いつも日常行動(学生・研究者の研究活動・登山等スポーツ活動・ベンチャー企業活動・大学改革活動・福島再生活動)の中から産まれている。活動の中から思考が行われ、少し頭を整理した論理の中から、次の活動指針を考え、仲間に提案する。自分と異質な考え方(思考の論理)は、自分の思考を刺激し、取捨選択して自分に取り込みたい対象である。異説を最初から排除して、誰か遠くの人間の論理どおり動くなど、私にとってはとんでもないことである。ベトナム反戦闘争・東大闘争・東大裁判闘争等々も、同じパターンでやってきて、いつも事務局責任を負ってきた。自分の周りの日常状況に刺激されて、日常的に思考し活動を行う、その中から次の日常が形成されていく、その中でまた次の思考と活動が継続されるという訳である。2011.3.11の福島原発事故は、仕事をリタイアし、ヒマラヤやマッキンリーの登山に明け暮れようとしていた私の日常に、
大きな刺激を与え、現地にすぐ行き活動を開始し、その中で思考(試行)錯誤し、未だ続いているという、考えてみればかなり単純な日常的な結果である。その点、あまり緊張を強いられストレスを受けているわけでもなく、日常活動そのものと言える。「福島再生」という非常に時間のかかる目標をNPOの名前にしたために、簡単には終わらない日常活動なのである。 (了)
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